2015年12月17日木曜日

居場所

 久々に「アラブで暮らしたい」という人と話をした。

 気持ちは分かる。だが「気持ち」だけでは現実は動かないことは知っておくべきだろう。
 同じような状況で同じことを言う日本人にこれまでたくさん会ってきた。
だが誰も彼もが「自分の置かれた状況、自分自身の能力」を全く無視したまま、ワガママを言うだけの人達だった。
 「何かを成しえよう」とする、そのために準備を怠らない、そういう人はむしろ住む場所になど拘らないように思う。

 結局のところ「アラブに暮らしたい」と言っているような人は、その場所に住めばそれだけで満足なのだ。
 ところが現実には「働いて糧を得る」必要がある。大金持ちの奇特なパトロンでもいない限り、何もせずに「日がな一日ぶらぶら」と暮らせるわけがない。そして働くという行為において、場所の違いはあまり関係ない。いや、海外で働くとかえってハンデばかりが目につく。

 海外で中途採用ともなれば、当然ながら「経験値」が最重要視される。
 特定の分野で少なくとも3年以上の経験と、それを証明できるものを持たなければ、門戸を叩く資格さえ認められない。「頑張ります」「なんでもやります」と言うセリフは、相手にしてみれば「何も得意なものがありません」「なにもできません」と言っているのと同じだ。

 しかもアラブ、特に湾岸諸国では「外国人労働者」はすなわち「低賃金で雇える労働力」でしかない。管理職以上は自国民と法律で決められている場合が殆どであるし、実務を担当するのはアラビア語が母国語となる他アラブ国出身者だ。
 英語で書類の作成もできない、アラビア語会話もできない、そんなアジア人が働けるとしたら、道路工事の肉体労働くらいだろう。それにしたってネパール人と同じ給与で働く必要がある。彼らの平均給与は月給3万円に満たない。

 すると「アラビア語の勉強からやります」と言い出すが、今からアラビア語をやって、スーダン人やエジプト人並みの読み書き会話が身につくのに何年必要か分っているのだろうか。
 しかもここはアラブだ。アラビア語を使える人間なら掃いて捨てるほどいる。

 まぁ、こんなことも彼らにしてみれば年寄りの戯言なんだろうな。

2015年11月27日金曜日

いざ、アフリカ

人生初のアフリカである。
チャンスは意外な形でやってきた。
一緒に行こうと誘ってきた人間が落ちて私だけが選ばれたのは何か深い意味でもあるんだろうか、と思わないと後ろめたくてやってられない。

たった2日だ。妻を一人残していくのは心配でたまらないが、ちょうど週末で、タイ人友達連中が遊びに来てくれるようなので、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

今後はこういうことが増えるような気もしていて、なれて欲しいと身勝手なことまで考えていたりするが。

ともかくアフリカ。
とりあえず仕事で粗相しないように気をつけねば。


2015年10月30日金曜日

ヲタク文化

 ガンダムの名場面を描いた九谷焼が発売になるらしい。
 それをめぐって、日本の伝統芸術への冒涜だとする意見が見られる。

 私自身は、ガンダムと九谷焼のコラボ自体にはさほど関心がない。売れるだろうし買うやつもいるだろう。
 だが、これをもって「日本の伝統技術を広める」云々には違和感というよりむしろ不快感を覚える。

 以前から日本の文化の一つとしての漫画やアニメが売り出されてきた。
 カタールでもテレビなどで吹替版が放映されるなど、日本のアニメ作品の知名度は上がりつつある。
 しかし、いわゆるヲタク文化である漫画やアニメは、他国においても興味を持つのはやはりヲタクなのだ。言い換えるなら、ちょっとお付き合いしたくない感じの人たち。相手が誰だろうと構わずに好きなアニメの話ばかりしたがる輩。特にアラブ人には「コナン」や「ワンピース」「ナルト」といった、ちょっと対象年齢層の低い作品が好きなヲタクが多い。
 自分自身も昔からアニメ好きだが、さすがにファンタジーで空想にふけるような趣味はなく、攻殻機動隊のようなリアリティがあって、深く考え込まさせられるような作品が好きなので、彼らとは全く話が合わない。

 話が逸れた。
 何故アニメなどを売りの一つにしてはいけないのか?
 少なくとも日本が国レベルで音頭を取ってまでやるべきことではない。何故なら文化交流の最終目的は相手国との関係構築だからだ。
 はっきり言ってヲタクっぽい人種というのはどこに行っても似通っている。
 そして、政府上層部など国家間において重要なポジションにいる人間は、アニメなど見ないし興味も持たない。
 大使館が萌だのカワイイだの言ってアニメでイベント張っても、来るのは大した役職もない若いヲタク。
 それよりも本物の九谷焼で展覧会でもすれば、コレクターのみならず、本物の富豪や王族がやってくるというもの。

 アニメは否定しないが、アニメを売りに推しても、極々一部のヲタクにしか訴求しないことは理解すべきだ。

2015年10月29日木曜日

骨を埋める覚悟という意味

 NewsPicksでアフリカでのビジネスの話題。

 アフリカの地で頑張っている若い日本人の語るエピソードが、残念ながら私のような古参から見れば「あるある」過ぎて痛い。若いっていいなぁ。

 日本に到着してスタバで思わず現地語が口をついた、なんて青臭さ全開。似たようなことを海外に出て数年くらいの、ちょうど初心者を脱した頃合いの日本人がよく口にする。
 それは「オレって、現地に溶け込みすぎて、つい現地語出ちゃったよ」という文脈で語られるのだが、そんなこと恥ずかしいから口にしないほうがいい。要は「環境に応じた切り替えができない」という環境適応力の低さを白状しているに過ぎない。

 とっさの反応で普段使い慣れた言語が口をつくことはあるかもしれない。しかし、通常の会話においては、話しかけてくる相手の言語に応じて切り替わるのが当たり前。
 そもそも「自分が今間違った言語を発した」と認識していることが、言語の切り替えができていない証拠だ。

 ところで、該当記事においては、日本人と中国人を比較して、「国へ帰るという心構えの日本人」「国へは帰らないという覚悟の中国人」といった対比がなされているが、任期の決まった駐在員を批判して悦に入るのは、現地で暮らす日本人の悪い癖である。

 国に仕事がなく、家族を養うために仕方なく遠い異国へと働きに来ている出稼ぎのアジア系から見れば、「何かあればすぐに国へ帰ることのできる奴らが何を偉そうに言ってるんだ」という話だ。

 彼らはまた死ぬまで働くことはできない。仕事がなくればもちろんのこと、年をとってパフォーマンスを発揮できなくなれば、否応なく国へと送り返される身だ。

 なんだ、この記事もまた、ドバイあたりにやってくる「ふわふわと浮ついた夢」を持った自分探しの日本人の言ってることと大差ないではないか。

 日本のメディアに取り上げられて日本語でおしゃべりして喜んでいるようでは不甲斐ない。
 そこまで現地主義を声高に叫ぶのなら、現地メディアに出て現地の言葉で語ってみろ。現地社会で有名になってみろ。話をするのはそれからだ。

2015年10月21日水曜日

隗より始めよ

 湾岸諸国にいる日本人が嘆くことの一つに「ローカルと知り合いになる機会が極端に少ない」というのがある。

 店員などは皆外国人で、街中でローカルと接触することはない。
モールに行けば、大勢のローカルがショッピングを楽しんでいるが、見ず知らずの彼らに声を掛けるわけにもいかないだろう。
 職場でも取引相手は実務を担当するエジプト人やスーダン人というケースが殆どで、要職に就いているローカルが直接会話を交わすことは少ない。

 カタール人の友達の家で行われる夕食会などに、友達が仕事で知り合ったと思しき外国人を連れてくることもあるが、日本人が来たケースは今まで一度もない。

 私がこの国で暮らしていく中で気をつけているのは、彼らローカルとの関係以上に、彼らの周囲にいる人達のことだ。つまり家庭なら使用人や運転手、職場なら給仕といった立場の人達。接触している時間が長いという意味では、実は彼らこそ最もローカルの近くにいる存在。

 彼らとの良好な関係を築けるかどうかが、ローカル社会に身を置こうとする者にとって重要案件。彼らは家にやってくる外国人客との間に利害関係などないため、主人に尋ねられたら率直な感想を言ってしまう。気に食わない客なら、あいつはロクでもないと正直に感じたことをローカルである家の主人に伝えてしまうのだ。

 逆に気に入られると、主人が不在の時でもマジリス(客間)へ入れてくれたり、家の奥にいる主人に連絡を取ってくれたりする。もちろん彼らのちょっとした頼み事くらいは快く引き受けてやらなければならない。彼らは英語が話せないので、アラビア語は必須条件だが、文法を無視したなんちゃっての崩れたアラビア語を理解する必要がある。

 日本人はとにかくローカルと仲良くなろうとして、そのことばかりに気を取られている。
本当に大切なことはもっと身近にある。

2015年10月18日日曜日

宗教

 公共の場やビジネスの場において相手の宗教や信仰に言及することはマナー違反というのは西欧などでは常識だと思う。

http://www.huffingtonpost.jp/triport/religion_b_8248562.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

 それにしてもこの記事、あまりにカジュアルに書きすぎていてちょっと恐い。

 アラブでは相手によりけりだが結構頻繁に聞かれることがある。
 ただ私の場合は常にカタール人と同じ服装をしているために、最初から「あなたはムスリムですか?」と言われてしまうが。

 湾岸諸国に駐在などでやってきた日本人の多くが、カタール人や他国アラブ人から「イスラーム」についてとうとうと語られた経験を持つと思う。
 その時、日本人はつい「相手の気分を害してはいけない」という思いから、適当に相槌を打ったり、時には「それは素晴らしい考え方ですね」と同意を口にする。残念ながら相手はそういう答えに「この人は脈がある。改宗してくれるかもしれない」と考える。

 時折、日本からのお客さんを連れてドーハ市内を案内したり、あるいはアラブ人の友達から知り合いだという日本人を紹介されたりする。日本人がその場からいなくなったあとで、その場にいたアラブ人から例外なく「あの日本人を改宗させるべきだ。君は同じ日本人だろう、イスラームの話をしてあげた方がいい」と言われる。例外なく、だ。

 別に自分たちのテリトリに取り込もうとか思っての発言ではない、お布施などという考え方のないイスラームでは、友達が入信したからといって何か得なことがあるわけでもない。単純に「イスラームを知らないなんて可哀想」という発想から来る「余計なお世話」なのだ。

 私自身は日本人としての受け止め方を理解しているから、彼らの言うようなことはしないが、中にはアラブ人から直接電話を何度もされて、怖くなって連絡を絶ってしまう日本人もいる。「どうしてMr.◯◯は電話に出てくれないんだ?」という相談が時折舞い込む。そりゃそうだろう、場を壊さないために適当に愛想を振りまいただけなのに、本気にされたんじゃ怖くもなる。

 しかし相手は日本人ではないのだ。日本人的な阿吽の呼吸を求めても仕方がない。
 宗教の話を振られたら、自分は一切興味が無いという態度が一番。ビジネスが主体の関係なら(そもそもそんな話は持ち出さないだろうが)、そんなことで相手が機嫌を悪くするようなことはない。

 Noと言える日本なんてのが昔流行った。別段そこまで否定的な態度を取る必要はないが、曖昧な愛想笑いは誤解を生む元であることは意識した方がいいだろう。

ニュース

 英国のBBCが日本語版を開設したというニュース。

http://jp.techcrunch.com/2015/10/17/20151016bbc-launches-japanese-language-news-site-to-extend-its-global-advertising-reach/

 これまでにもCNNなど海外系メディアによる日本語サイトは存在していたが、昔から多言語展開をしてきたBBCの日本語版は「やっとか」という思いだ。

 海外に出た人なら実感することだが、日本のメディアは国内偏重過ぎる。
 新聞とテレビだけでは海外のニュースは殆ど入ってこない。ネットに目を向けても、海外のニュースといえば「珍事件」の類ばかりだし、政治や経済は海外配信の翻訳が大半。

 英語で書かれたニュースならネットに溢れいてる。英語で読む努力をすべき。そういう声もまた正しい。これからは日本語ローカライズを待っていては、情報のスピードから置いて行かれる、そういう時代だろう。

 ただし、そこを突き詰めると「現地の言葉でニュースを読めば、もっと深い所も知ることが出来る」とも言える。

 カタールではアラビア語が4紙、英語が3紙、それぞれ発行されている。
 アラビア語版と英語版では扱う記事に相当違いがある。何故ならターゲットが違うからだ。英語版は欧米系はもちろん、ホワイトカラーのインド人など外国人読者を想定し、全体的にはアジアを中心とした国外ニュースにページを割いている。
 一方、アラビア語の新聞では、国内ニュースが半分以上を占めている。
 特に首長や大臣など重要ポストの動きや、法改正や新しい制度など実生活に結びつくような情報はアラビア語紙にしか掲載されない場合が多い。

 これはアラブに限ったことではなく、英語圏以外では当り前。
 そういう意味では、BBCは「西欧から見た世界」という限界を意識しながら見る必要はあるだろう。

 それでも、日本のメディアに比べれば世界を知るチャンスを遥かに多く与えてくれるはずだ。