2017年12月28日木曜日

現実

 元同僚からメールで「最近知り合った東欧人が仕事を探しているけど、何か心当たりがあったら知らせてよ」と。

 Bccで手当たり次第に送ってるようで、CVが添付されていたので開けてみると、「40代で独身、5年前にムスリムに改宗、大学中退」の男性。

 職歴を見ると2,3年おきにあまり関連性のない企業を転々と移っている。使える言語はヨーロッパ系ばかり。アラビア語や日本語も入れてあるが、いずれも「初級レベル」とあり、それなら書くなよと。まぁ、必死なのは見て取れるが。

 アジア系出稼ぎと一緒にタコ部屋でいいのなら仕事はあるだろう。でも、耐えられないだろうな、きっと。何しに来たのかといえば「イスラームの勉強」だそうだが、勉強ならここにわざわざ来なくても出来る。

 要は”アラブに住んでる自分”に満足したいだけかな。大概「祖国ではムスリムとして暮らすのは難しい」と言うのが決まり文句。実際そうなのかもしれない。何処で暮らしたいと思うかもそれぞれの自由だ。

 それならば死に物狂いで活路を見出すべきなのだが、得てしてこういう人は他力本願なのが困りもの。これまで見た人たちは全員「行けば誰かが拾ってくれる。なんとかしてくれる。だって自分は”○○人”だしムスリムだから」という根拠の無い期待と自信を持ってきたが、ことごとく夢?打ち砕かれて帰って行った。
 「裕福な国だから待遇も良いだろう」というのも幻想に過ぎない。

 今年の法改正で、欧州からの訪問客はアライバルビザで90日間滞在可能になったので、それを利用してこうやって仕事探しにやってくる人も当然出てくるわけで。妻の親類にも「年明けにそっちにいって仕事を探したい」と言っている奴がいて頭が痛い(笑

 実際のところ、企業に書類を送って応募するといった正攻法以外で、理想の仕事が見つかる可能性は殆どない。それに出稼ぎとして働き出したら、勉強する時間なんてまずないと思ったほうが良いだろう。


2017年11月23日木曜日

誇り


 先週、Kataraにて行われていたダウ船フェスティバル。
 最終日にようやく足を運ぶことができたのだが、会場に入って驚いたのが客の殆どがローカル、つまりカタール人の家族連れだったこと。
 これまでのこの手の文化系イベントでは観光客を含めた外国人の姿が目立つのが通常だ。
  自分たちのルーツ、歴史や文化を若い世代に見せることは非常に大切なこと。 断交をきかっけにした愛国心の盛り上がりも関係があるのだろうか。

 

朝焼け


 朝晩の気温が20度前後と過ごしやすい季節になってきた。
 空に雲が見えるだけでホッとする。それほど長い夏の暑さは厳しい。

 

2017年11月21日火曜日

物価

 ほぼ週に一度は同僚だったパキスタン人と夕食をとる。
 所得の低い彼にとって、私が妻とよく行くようなレストランは高嶺の花。一度(それでも安い部類の)タイレストランへ連れて行ったが、値段を見て気後れしていたので、それ以来ずっとホンモス専門の食堂に行くことにしている。

 そのホンモス専門食堂が先月急に閉店に。どうやらオーナーと店主の間で何かトラブルがあったらしい。あくまでも噂だが。

 仕方なく最近はインド系食堂へ。ここも以前はよく来た店だ。数年ぶりに行ってみると、いつも頼んでいたBBQチキンのハーフが15リヤルになっていた。確か最後に来た時は値上げ直後で13リヤルだったはず。パキスタン人によれば彼が来た頃は10リヤルだったという。10年ほどの間に5リヤルの値上げ、しかもその殆どがここ3年位の間の出来事。いかにドーハの物価が急激に上がっているかを実感する。

2017年9月20日水曜日

マジリス

 アラブ、特に湾岸アラブ諸国に興味を持ったことのある人なら、「マジリス」という言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。
 単語の意味を直接取れば「座る場所、空間」となるが、日本風に敢えて言うなら「客間」になるだろうか。

 また、湾岸諸国の元首や王族などが庶民と謁見する間もマジリスであり、すなわち場所を指すのではなく、「人と人が顔を合わせる」という文化そのものを表す単語だ。

 多くの外国人がこのようなマジリスに足を運ぶのは、館の主が夕食会などもてなしをする時であり、あくまでも迎え入れられる「客」である。この場合はマジリスは「社交場」として機能する。
 一方で家族が寛げる場としてマジリスを使うこともある。マジリスは「憩いの場」でもあるのだ。

 前者においてはその場の上下関係はあくまでも各人の立場に依存する。しかし後者においては年功序列が基本である。たとえ大臣であろうと、長老から見れば「近所のハナタレ小僧」なのだ。

 ちなみに男女の区分けが厳格な湾岸諸国においては、男性のマジリスと女性のマジリスは別々にあり、それぞれが不可侵だ。女性が男性のマジリスを垣間見ることはありえないし、男性が女性のマジリスに足を踏み入れることは厳禁だ。

2017年8月30日水曜日

理由

 自分が何故写真を取り続けているのか、最近になってやっとわかった気がする。

 若い頃に詩を書き殴っていたのも、イラストを描いたりしたことも、結局は同じこと。
 自分の中にひたすら溜まっていく何かを吐き出す、それを形のあるものとして誰かに知ってもらう。

 映画やドラマを観る時は、ハッピーエンドを求めていても、現実の世界というものは、常に救われない結末が折り重なって出来ていると、自分の中で何処か思っている。
 だから表現したいものは、どこか切ない要素が見え隠れする。

 記録としての「目の前の事象を定着させる」ような写真にも、もちろん関心はあるし、これからもそういった写真を撮り続けるつもりだ。それとは別に、もっと抽象的な、しかし絵画とは異なる印象を持った写真を撮りたい。ここ数日で強くそう思うようになった。

2017年2月22日水曜日

呼びかけ

 東南アジア系とか、日本人もそうだが、政府要人みたいなエライさんに呼びかける時に、やたらと敬称を使いたがるのが不思議。

 こちらでは、式典の挨拶文の中で首長や大臣に言及したりするときは、きちんとH.H.とかH.E.を使うけど、本人に直接呼びかける時は、もっとシンプルだし、親しみを込めてクニヤ(◯◯のお父さん、お母さん)で呼ぶことも少なくない。

 実際、うちの職場でも大臣などに呼びかける時はクニヤが普通。会話の中で言及する場合でも「大臣が...」という表現を使う。

 日本人は会議などで王族などに呼びかける時にも「Your Exelency」とか言うけど、これってちょっと不自然。それならアラビア語で「Sheikh」の方がまだマシ。


 もちろん丁寧に接しようとしているからかもしれないし、逆にタメ口っぽく話しかけて馴れ馴れしくなってもいけないが、やたらと仰々しい言い回しは却って「媚びてる」風にも取られるから、あまりやらない方がいいと思う。

2017年2月19日日曜日

自分とは違う存在

 UAEやカタルなど湾岸諸国の多くでは、人口の半数以上を出稼ぎ外国人が占めている。
 国籍や民族、人種、言葉、そして信仰が異なる様々な背景を持った人たちが、一つの社会の中で隣り合って暮らす様は、ほぼ単一の民族の集団に暮らす人達にとっては不思議な光景と写るだろう。

 一つ誤解してはならないのは、そんな彼らはけして「仲良く」交わって暮らしているわけではないということ。無論お互いに顔を合わせれば挨拶もするし笑顔も見せるし、それなりに会話もある。たとえ腹の中に抱えるものがあったとしても。

 異なる思想や文化を背負う者同士がトラブルを起こすこと無く暮らすために最も必要なことは「お互いに干渉しない」ことだ。つまり相手に対して無関心を通すこと。相手を理解しようとか、深く知ろうとしないこと。

 ここでは、異なる国籍や人種、信仰の間での付き合いはない。それぞれの共同体の中で全てを完結させている。カタル人と外国人の付き合いが稀有なのも当然ながら、インド人、バングラデシュ人、フィリピン人、あるいは欧米人、それぞれに暮らすエリアも働く場所も違う彼らは普段の生活で交わることはまずない。たとえ顔を合わせることがあっても、けして深入りはしない。したところで何も共感など生まれないことを皆それぞれが知っている。

 得てして日本人は他人と他人とが分かり合えるという幻想に溺れがちだ。
 残念ながら本当にニュータイプやらイノベーターやらが現実に現れたとしても、心のうちまでは「理解」することなどできないだろう。人間にできるのは「そういう人たちもいる」という「相互認知」だけだ。自分とは異なる他人という存在を許容できるか出来ないか、全ての争いの原因はそこに尽きるのだから。


2017年2月16日木曜日

税制


 原油価格の乱高下にあえぐ湾岸諸国で、とうとう税制が導入される。
 消費税に関しては、各国とも2018年ころからの導入を検討しているが、それに先立ってカタルでは今年4月から一部の商品に税を掛ける動きがあるらしい。

 「健康に関するもの」と「高級品」に掛かるとされているが、具体的な商品区分については不明瞭なまま。

 噂ではタバコやファストフードなどではないかと言われている。

 いずれにせよ、湾岸での暮らしが今までのようなタックスフリーで快適な時代は終わりを告げる。




Taxes on junk food, luxury items to be rolled out in Qatar soon (by Doha News)

2017年2月8日水曜日

チェロキー


 先月末に車を買い替えた。
 それまで乗っていたパジェロスポーツは丸7年を越え、走行距離は10万キロ足らずだったものの、厳しい気候と交通事情もあってか、相当くたびれていた。
 それでもメンテナンスをしながら、まだまだ乗り続けるつもりでいた。

 ところが...昨年の父の死去に向かい合った時にふと思った。
 人なんてあっけなく消えてしまうのだと。
 何もかも無責任に放り投げて楽しいことだけ考えて生きようとは思わないが、少しだけ気分よく暮らす方法を探しても悪くはないのではないか、そう思うようになった。

 車がポンコツだから、行きたいと思ったところを諦める。それが嫌だった。人生、残された時間を数えたほうが早い年齢にさしかかった。ならば、出来なかったと悔やむより、無茶してたなと笑って振り返る人生がいい。

 ただ、大きな車はもう乗りたくなかった。さすがに体がついていかないし、狭い路地裏で気を使うのにも疲れた。
 ミドルクラス、いわゆるCセグメントのSUVを中心に候補車探しが始まったが、日本車で欲しいと思うものがない。維持費やメンテを考えれば確かに日本車一択かもしれない。しかし妻が言う「日本車なんて、日本でもタイでも買おうと思えば買えるじゃない。ここでしか乗れないような車がいいわ」と。
 それもまた一つの考え方だ。

 結局、自分でも意外な結果で、米国産のジープ・チェロキーを買うことになった。
 実は18年前の留学生時代に、駐在員から格安で譲ってもらった90年式チェロキーに乗っていたことがあった。まさかその最新モデルを手に入れることになろうとは。
 しかし、フィアットの思想を取り込んだ米国SUVの代名詞は、すっかり姿を変えていた。一度見たら忘れられない斬新なデザインと、今どきのSUVらしい上質なインテリア。電子式パーキングブレーキや9段ATなど最近技術も盛りだくさんで、7年という時間の流れをしみじみと感じた。

2017年1月16日月曜日

私という人間について

 先日スークへ行ったら、布生地屋のオヤジに「お前さん、ムタッワだからメートルQR25のところQR15にするよ」と言われた。

 ムタッワ、信仰深い人を指して言うこの言葉を、最初は非常に居心地の悪い思いで聞いていたが、最近はまんざらでもなくなった。

 言葉を褒められたり、服装が似合っているよと言われたりすることは多々ある。勿論、相手に悪気は微塵もなく、言われた方としても悪い気はしない。でもそれはどこか相対的な評価でしかない。つまり「日本人なのに」という枕詞がそこには必ず含まれているのだ。

 ムタッワという呼ばれ方には、そういったものは殆ど感じられない。実態が伴っているかどうかはともかくとして、自分という人間に対する純粋な印象だと思えるようになってきた。